1990年に大阪市西成区で起きた「西成大暴動!」
車が燃えております。。
特車が放水しております。。
警察と暴力団との癒着が発覚し、それが発端で労働者の不満が爆発!抗議デモが発展し暴動化した事件。
PR
↑*射殺シーンがございます。意に沿ぐわない方はご遠慮ください。
戦後初の犯人射殺により解決した事件。
射殺したのは大阪府警機動隊所属の狙撃隊員1名で後に殺人罪で告発されてしまいます。
法律の講義を受けられた方なら耳にした事があるかと思いますが
「正当行為(刑35)、正当防衛(刑36)」の判例として利用されてます。
もちろん正当行為です。たしか最高裁判例集にもあったと思います。
<ちなみにこんな事件です>
・犯人は川藤展久(当時20歳)他、少年A、B
・山口県内で警官を刃物で刺し拳銃等を奪う。
・その後銃砲店で猟銃等を奪い逃走。
・広島市宇品港に停泊中の「ぷりんす号」を占拠し瀬戸内海を逃走。
・一路、愛媛県松山観光港にて一部人質引渡しの変わりに燃料を補給。
・広島市宇品港に帰港。
・母親の投降呼びかけに対しライフルを乱射。
・その後犯人は射殺される。
この事件を継起に多くの国々で対テロの重要性が再認識された。
これにより「対テロ部隊」の創設・研究・再確認などが盛んに実施された。
<ちなみにこんな事件です>
日本赤軍によるハイジャック事件。
米国人を含む乗員14名、乗客137名が人質となった。
赤軍側は身代金600億ドル(当時16億円)と日本で服役している囚人9名の引渡しを要求。
要求が拒否された場合や回答なき場合は人質を米国人から順次殺害していくとの声明を発表。
当時の首相 福田赳夫は「人名は地球より重い」(!?)との声明を発表、
米国との外交的問題を考慮し超法規的措置(←違法だろ!)として
身代金と釈放に応じた人質6名(3名は拒否)をダッカに移送。
引渡しにより118名が解放された。残る人質を乗せたままダッカを離陸。
最終的な着陸地アルジェリアのダル・エル・ペイダ空港までに全員が解放された。
その後、犯人はアルジェリア政府管理下に置かれ事件は終結。
↑要はハイジャック成功って事。
突入・射殺した部隊は大阪府警 第二機動隊の「零中隊」なる部隊でこの事件が初陣となりました。
ちなみにこの「零中隊」は警察特殊部隊「SAT - 特殊急襲部隊」の前身となる部隊で1970年初頭頃、警視庁「SAP」と同様にほぼ同時期に創設されたようです。
<ちなみにこんな事件です>
・犯人は梅川昭美 当時34歳
・猟銃とナイフなどで武装し銀行を襲撃。
・支店長を2メートルの至近距離で射殺。
↑他警官を含む4名を射殺。
・男性行員を脅しほかの男性行員の耳の上部を削ぎとらせる。
・女性行員を全裸にし盾にする他、陵辱的行為を強要する。
(↑ご推察の様にいわゆる「変態プレイ」です。以下自粛)